ある所に70程のお母さんと(仮に吉田さんとします)、知的障害を持ったお子さん(仮に隆さんとしましょう)が居ました。
私の住んでいる町には、知的障害者の支援施設がありまして
隆さんが施設に、入ると同時期に出来るだけ近くに居たいという理由で平成4年私の住んでいる町に越してきました。
ですので、この町には知り合いも親戚も居ません。
私は、仕事絡みのお付き合いでしたが、思えばかなり頼りにされていた気がします。
当初は、お孫さんの話やひ孫さんの話題が多かったのですが、
ある日隆さんが階段で転んだのをきっかけに体調を壊しまして
支援施設を出なければならなくなり(病院では無い為)
ここから車で一時間程離れた病院に入院したり、障害者支援施設を行ったり来たりしていました。
年月が経って80を超えた体には、隆さんに会いに行くだけでもかなりの負担で
本当は、毎日でも会いに行きたい、出来れば一緒に住みたい
でも、自分だけ我侭を言って迷惑を掛けたくは無いとのことで
週に一回、近所の人に車で送ってもらって会いに行くのが唯一の楽しみでした。
次第に隆さんは、自分で歩くことも出来ず、ベットで寝たきりの生活になり
食事も口からは、摂れないような生活になりました。
吉田さんは、この隆さんの現状に相当心を痛めていまして
80も超えた事もあり、週に一度の隆さんに会いに行くのも負担になってきました。
吉田さんが口に出すのは、
「隆がかわいそう、出来るならば変わってあげたい」
「隆さんが、死んだら私も一緒に逝きたい」
去る7月18日隆さんが逝かれました。
お葬式の時には、気丈に振舞って居た吉田さんですが、
式が終わると同時に、吉田さんは入院されました。
肝臓がんで、病院の先生もびっくりするほどの転移の早さで
8月26日隆さんを追うように帰らぬ人になってしまいました。
やっと一緒になれて幸せだったんじゃないかな
最後にお会いした時は、こう。おっしゃっていました
「隆も私は幸せだった、もう思い残すことは何も無い」
「隆の所に行きたい、隆の所に行くんだ・・・」
ご冥福をお祈りします。